さて。 『同じ釜の飯』というテーマで寄稿を募集したが、依頼ではなく寄稿にしたということは、誰からも文章が集まらないという可能性も当然ある。私の日頃の行いや、信頼性、人間性という観点から見れば十二分にあり得る話だ。そのことも加味した上で、自分で寄稿を書き貯めておくとする。 「同じ釜の飯」というテーマにのっとれば、一緒に食事を共にした友、仲間、その仲間たちの大切さについて書くのが順当ではある。が、ひねくれ者の自分としては、逆のことを書きたい衝動に駆られる。アメリカ留学時代の話だ。 * 九州の山奥の全寮制の高校を卒業して留学した先は、アメリカの中西部にあるミズーリ州の片田舎の全寮制の大学だった。一番近いカンザスシティ空港から車で三時間。大学と学生寮の周辺は、地平線の先まで続くトウモロコシ畑が永遠に広がっていた。 学内にカフェテリアは一つしかなく、2010年代前半の当時でさえ、白人と黒人、そしてその他の人種の人たちは、食堂の別々のテーブルに分かれて座っていた。肌の色が近い人どうしの方が、ふつうに話が合う。それがあたりまえの環境だった。 出てくる飯に日本食なんてものはない。魚を生で食べる文化があると言えば、「おえっ」とわざとらしく嘔吐する素振りを見せる奴もいる。食事の大半は、ミートボールやハンバーガー、マカロニアンドチーズ、ハッシュドポテトにグレイビーソースといったジャンクなアメリカの食べ物か、ナチョス、タコス、ブリトーといったメキシコ系の食べ物のどちらかだった。時々、米らしきものも出てくるが、日本で食べられるようなそれではなく、細長くてパサパサとした発泡スチロールの粒みたいな米だ。 配膳のシステムは、SUBWAYや丸亀製麺のようなスタイルだ。入り口でトレーをもらって、一方通行のレールの上をスライドし、自分が欲しい食材を配膳してもらう。大抵は無愛想なメキシコ系移民のおばちゃんが、皿にべちゃっと食べ物を放り投げてよこしてくる。 留学したての僕は英語がまったくできず、たとえ話でもなんでもなく、「スピナッチ(ほうれんそう)、プリーズ」と頼んだらトマトが出てくるくらいの悲惨さだった。単語がわかってはいても、聞き取れるように発音できない。英語を学習したい生徒のために親身になって耳を傾けてくれる高校時代のALTの先生とは違って、こちらの人間は、英語もまともに喋れないアジア人に時間を割くほど他人に興味がない。 留学生は多かったが、アジア人は片手で数えるほどで、大半はメキシコやエルサルバドル、チリ、ブラジルなど、中南米からの学生だった。おしゃべりで楽天的な彼らは、友達どうしでもスペイン語と英語を織り交ぜながら話す。木曜日の夜くらいから週末気分で、煙たい車に乗ってローカルの小さなクラブに出向く。そうやって着実に交流を重ね、留学生どうしでいつの間にかカップルになっていたり、英語を上達させるためにアメリカ人と付き合い始めたりして、メキメキ英語を上達させていった。 僕は、広い食堂でいつも一人で飯を食べるようになった。ボソボソとまずい米を食べていると、同じクラスで顔を合わせる陽気なラテン系の人たちによく話しかけられた。 「ワッツアップ!マイフレンド!週末はファックしたか?」 下品に腰を振りながら話しかけてくる彼らに、できうる限りの笑みを浮かべて「Yeah(いええ)」と返すのが関の山だった。当時の僕は童貞だった。 一人であることを見られるのが怖くてトイレで飯を食べる、便所飯という言葉がある。この頃、確かにその気持ちはわかるなと思った。ただ、アメリカのトイレは足元が外から見える。そんな姿が見つかってしまえば学生生活はおしまいだ。「It's Benjo Meshi. Toilet Lunch.」と説明したところで、狂ったジャパニーズと軽蔑されるだけだろう。 唯一、安心できるのは自分の部屋の中だった。 アメリカ人のルームメイトがいたのだが、幸い彼もあまり友達の多いタイプではなく、寡黙な男だった。朝は「今日はいつ授業があるの?」と気にかけてくれ、大学内ですれ違った時は、ニコッと柔和な微笑を浮かべた。会話と呼べるほどの会話こそ交わさないが、互いの中にある孤独を抱えながらも学生生活を頑張ろうという無言の信頼が、そこにはあると思っていた。 ある日、教授の都合で授業が休みになった。暇になったなと思って寮の自分の部屋に戻ると、ドアノブに靴下がかかっていた。 不思議に思ってドアを開けると、ベッドからバタバタっと急いで立ち上がったルームメイトがこっちを向いて、苛立った声で「Damn!!!! FUCK‼︎」と叫んだ。同じベッドから金髪の裸の女性がむくりと起き上がり、ため息をつきながら背中を向けてブラのフックを留め始めた。薄暗い部屋は、つけっぱなしのテレビの画面の反射で点滅していて、なぜかアニマルプラネットが大音量で流れていた。 (あ…ごめ…) 彼らには伝わらないくらいの声で、小さく鳴いた。 いたたまれなくなって急いで部屋を出ようとすると、「待って、ブロ!悪かったよ」と、ルームメイトに引き止められた。彼は見られるべきでないものを見られてしまった照れ臭さと、急に怒鳴ったことを詫びるかのように、棚から箱買いしたドクターペッパーを一本差し出してきた。 すると女の方が、「待って、彼にはきっとウィッチ・ドクターが必要ね」と悪戯っぽく笑った。 そして、同じ棚からピクルスの入った瓶をカポッと開け、大きなピクルスを一本つまんで、ドクターペッパーの缶を片手で開けた。その缶の小さな穴にピクルスを差し、指の腹でぎゅっと押し挿れた後、女は指先につたった汁をティッシュで拭いた。 「これがウィッチドクター。魔女のお医者さん。トライしてみる?」 渡された缶は、口の縁が濡れていた。僕は言われるがままにそれを飲んだ。二人も同様に、自分の缶にピクルスを押し込んだ。 薄暗い部屋の中で飲んだあのドクターペッパーの味を、僕はまったく思い出せない。