2026-07-29
『盆』
vol.7 7月号
今や滑らかなジラフのバーカウンターは、もとは大工が使う安い足場板だったという。最初の頃はがさがさで、ささくれ立っていた。それが幾度も肘を置かれ、グラスを滑らせるうちに、少しずつ角を失っていった。
頭上のオレンジ色のヴィンテージランプは、25年前の開業時にすでに50年以上も前のものだったというから、相当の年季入りである。前オーナーが赤ん坊を抱えながら店を開けていた頃から、変わらずそこにある。
店ひとつとってみても、かつての風景を思い起こさせるものは、見渡せば実は至るところに転がっている。今見えているこの景色は、どういう経緯で成り立っているのか。それが最初の出発点だった。
ものに起源があるのと同様に、我々にも起源がある。ホモ・サピエンスの誕生といった仰々しい人類史を借りるまでもない。
前号の『星座』で星を使って試みたのは、コミュニティにおける人間関係の広がりだった。その星の一つ一つに二人の親がいて、その親にもまた二人と、二乗で遡っていけば、我々は一人残らず、途方もない数の祖先を背負って歩いていることになる。
人に歴史あり。というように、その人にはその人の抱える固有の歴史がある。しかし、その背後には本人すら知り得ない長い列が伸びている。そうした過去へ、定期的に想いを向けさせる古い行事がある。
今号のテーマは『盆』である。
盆とは、年に一度この世に還ってくる祖霊を、火で迎え、もてなし、火で送り返す民間行事である。死者が盆に還ってくるという感覚は仏教以前からの祖霊信仰で、そこに七世紀に伝わった盂蘭盆会(うらぼんえ)が重なり、中世に踊念仏が加わって、いまのかたちになったというのが定説だが、ここで歴史の講釈を垂れるつもりはない。
今号で「盆」というテーマを持ち出したのは、迎え - もてなし - 送り返すという構造が、土地や家族、祖先、共同体の源流や人のルーツ、創作の初期衝動といった、今に至る過去を遡って考えてみるための、ちょうどいい契機になると思ったからである。
盆に祖先は帰る。けれど、覆水は盆に返らない。同じ器を指す言葉なのに、片方は還ってくるものの話をして、もう片方は二度と戻らないものの話をする。
過ぎた時間は取り返せない。それでも、迎えることはできる。
我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか。
この足場板のカウンターも、頭上のランプも、こぼれた水の分だけ滑らかになった。今を見据えるために、今ある景色をつくったものを、一度だけ振り返ってみたい。

